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   劇場そっちのけで、DVD/BDや衛星放送を利用して映画を家で見るという、およそ映画ファンとしては許すまじき趣向を重んじるブログです。

04.29.15:33

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02.16.12:33

また一人・・・・

701140.jpg 訃報は一週間ほど前のことでしたが、ロイ・シャイダーが逝去されました。七十五歳だったそうです。ここ最近は多発性骨髄腫という癌の中でも難病とされる病を患い、ブロディ署長の如き闘志を以てジョーズの如き病と激闘を繰り広げましたが、遂に力尽きたとのこと。

 ロイ・シャイダーで一番思い浮かぶのは「JAWS」でしょうか。確かに「フレンチコネクション」でのオスカー獲得がブレイクの切っ掛けとはいえ、あれは主役じゃありませんでしたからね(助演男優賞)。「オール・ザット・ジャズ」でのジョー役ではオスカー主演男優候補に挙げられたりもしたが、80年代以降の出演作はロクな物が無い。しかしながら「2010年」でのフロイド博士役と「ブルーサンダー」でのマーフィー役は私的に思い出深い。キューブリックの不朽の名作「2001年宇宙の旅」の続編である「2010年」は、原作では正式な2001年の続編になっているが、映画版では製作者がアホすぎたというか、当時最も大きな問題だった米ソ冷戦構造や対共産主義社会のイデオロギーであるとか、木星の生命体についての描写が削除されたりであるとか、描く世界が数十年後の2010年の出来事であることをスッカリ忘れてしまったかのような演出が多く、そういう意味では本来2001年宇宙の旅並に神秘性に富んだ作品になる筈が、単なるSFサスペンスになってしまっていて、主演したロイにとっても彼のキャリアの付加価値とは成らなかった。また「ブルーサンダー」では、低予算でありながら世のメカヲタ共を熱狂させるに余りあるアクション映画になったものの、有名になったのは俳優ではなく機械としての攻撃ヘリ”ブルーサンダー”であり、ロイは主演でありながらカレーの福神漬けのような扱いにされてしまっている。そういう意味では、80年代以降はツキが無い俳優人生だったのかも知れない。

 クソ偉そうな意見としては、この人は主役ではなく脇役で芸を磨けばもっと違った魅力を沢山放てたのではないかと思う。先述のような作品中の役所での印象も悪くはないのだが、「マラソンマン」「蜘蛛女」「レインメーカー」等での主人公を引き立てる脇役の妙技は、主役を演じたときよりも印象に残っているのだ。そういう意味では、彼自身かエージェントかは知らないが、映画界の中に彼自身の確固たる居場所を持てない状況を生み出し続けたという意味で、80年代から90年代に掛けては模索に明け暮れた俳優人生だったのかも知れないと、ついつい想像してしまう。

 最後に見たのは「パニッシャー」での、主人公の父親役。「お!ロイ・シャイダーやん」と思わせてくれたと思ったら、速攻で死んじゃう役でした。でも、「お!」と思わされた時点で、ロイ・シャイダーの勝ちだったんでしょうな。

合掌
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02.14.01:05

名匠暁に死す

g01.jpg 又一人、昭和の名匠が逝きました。市川崑氏、九十四歳の一生でした。

かの有名な「東京オリンピック」論争で、映画監督らしいストイックな姿勢を世に知らしめ、作品でも「ビルマの竪琴」以降”市川崑流”を着実に確立し、特定のジャンルに囚われず、文芸作からアニメ作品まで幅広いジャンルを手掛けつつも、どの作品も見れば直ぐに氏の作品であることが判るというのは、氏の自分流の確立が確かなる物であったことを再認識させてくれます。

 最近になって庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」のタイトルテロップが市川崑のテロップの使い方のリスペクトであることが有名になったり、岩井俊二が「市川崑物語」と、現存の一監督の伝記的映画を監督したりと、日本の映画界に与えた影響は世代を超えて計り知れない。

 個人的には、市川崑と言えばやはり東宝の金田一耕助シリーズである。それまで幾度か映像化された横溝の金田一シリーズだったが、かの有名なボサボサ頭に小汚い風体の金田一耕助像を確立したのは、他でもない市川崑と言える。

 また、氏は自分の作品を二度リメイクしている。1つは出世作とも言える「ビルマの竪琴」、1つには金田一シリーズの原点「犬神家の一族」。特に「犬神家の一族」は、 70年代の金田一ブームの頃(ブームを作ったのは他でもない市川氏だが・・・)他社に権利を持って行かれ監督できなかった「八墓村」を、90年代になって漸く機会を得て監督した際に、金田一役を某若手俳優に配したところ、原作に忠実との一定の評価は得た物の作品としてはらしさが薄れていて、そういう意味ではやはり石坂浩二=金田一に余程未練があったのか、平成版「犬神家」では再び石坂を金田一に配して自らリメイクするという、非常に珍しいリメイクとなった。何のためのリメイクなのかが当時は正直疑問だったのだが、今思えば何処ぞの誰かにリメイクという名の蹂躙を受けるなら自分でリメイクした方が良いと思ったのかも知れない。そういう意味では、「犬神家の一族」そして「ビルマの竪琴」の二作には、市川崑が特に思い入れがあったのかも。

 あと忘れてならないのが「細雪」。市川の妻 故和田夏十は、四十代で癌を患い、1983年に逝去しているが、かの「市川崑物語」を見れば、死しても市川作品の脚本は彼女と市川との共同執筆であると、市川崑は考えているのじゃないだろうか。で、「細雪」はまさに和田夏十が逝去した83年に完成した作品なのだが、原作である谷崎の名著「細雪」は、非常に内容の濃い超長編小説であったと言うこともあり、それを僅か2時間程度で描ききる自信が市川には無かったそうだが、それを巧みなアレンジで凝縮して描くことを指南したのが、当時病床にあった和田夏十であったと言われる。事実。市川の「細雪」は見事完成し、市川崑の代表作として挙げられる逸品となった。監督であり脚本家であった市川崑であったが、監督の夫と脚本家の妻という夫婦の二人三脚を、たとえ妻が死しても崩すことがなかったと思えてならない。

 一映画ファンとして、感謝の念尽きぬ中に、その九十四年の生涯に思いを馳せ、氏の数々の作品を回顧しながら手を合わせる。合掌